人間は、利害関係が一致した時だけ協力し合う。
人間は、自分が得するときだけ、何かを得られる時だけ、行動する。
物理的であったり、精神的であったり、とにかく己が得をする、もしくは何かを得るために行動する。
ボランティアや寄付の類でさえ、他人の目という、評価という、人としての自分の価値という『承認』や『称賛』を意識しているはず。
もしくは、いたたまれない自分の気持ちを緩和する為かもしれない。
とにかく僕らは『結果』を求め続けながら走っている。
時計の秒針が止まる事の無いのと同じで、僕らも止まることはできない。
生きているのだから。
僕らは、自分が何かを得ることを目的として行動している。
日常の些細なことに対してもだ。
家事、育児、仕事、遊び、自分の時間。その全てに意味がある。何かを得ようとしている。
お金なのか、人間関係なのか、地位なのか、名誉なのか、世間体なのか、色んなものがごちゃ混ぜになった自分と向き合いながら、感じながら、考えながら生きてる。
行動の先には結果があり、結果には評価が付く。
生きているもの全てに共通する『方程式』みたいなものだ。
僕はずっとこの『方程式』を解こうと試みてきた。
ずっとずっと昔から、試みてきた。
万物に共通し、代入できる『値』がないか探してきた。
そしてその『値』を使って、方程式の答えが『平均より上』にならないか、考え続けてきた。実験し続けてきた。
何個かあるであろう『値』の中で、自分がコントロールできるものを見つけた。
『努力』である。
この『努力』という値は、年齢が若ければ若いほど方程式の解を良いものにした。
『努力』は時に、足し合わせることができたり、掛け合わせることができたりと、行動の結果という『解』に大きな影響を与えてくれた。
『才能』という値は、自分では知ることができないようだ。
ただし、『努力』の大きさから得られる『解』により、予測できそうな事は、長い人生を経て理解できてきた。
『才能』は、取り組む物事により、加減乗除(足す・引く・割る・掛ける)が変わるようだし、掴みどころが無い。
しかし、取り組んだ物事から得られた『解』を、求める結果や他人と比較して、代入した『努力』の大きさから逆算すれば、その物事に対する自分の『才能』を予測することができる。
実は、人生の真理の一つが、ここにある。
『努力』には、効率や継続時間などの値が影響するので、改善要素が多分にあり、一回の『解』では、判断がつかないのだ。
そして、最大にして最強の値が『運』である。
誰もが持っているものじゃ無い。
僕が解こうとした『人生の方程式』には、『才能』や『努力』や『時間』や『時代』や『他人』や『運』など、きっとまだあるであろう、見つけなければならない項目が多すぎる。
万物の万事を『中の上』にする方程式は、僕には解けそうにない。
そもそも、自分が導き出そうとしている方程式の解でさえ、主観的な値であり、客観的に見て『中の上』である確証すらないのだ。
人生の万事の物事において、上には上がいて、下には下がいる。
しかしそのことですら、持ち合わせている物差しにより、上下が逆転する場合もある。
幸せに答えは無い
人生においては、『確かに分かる事なんて何もない』と、確かに言えるだけ。
今、僕たちが唯一分かっているのは、朝が来て、夜が来るってことだけ。
星が降る夜と、眩しい朝が繰り返し訪れるってことだけ。
この事だけは、どんな人の方程式にも共通している。
必ず誰にでも明日はやって来る。
だから『チャンス』という値は、誰の方程式にも平等に何度でも使える。
少しでも、誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。