世の中で話題の『鬼滅の刃』に触れてみた。
今なら会員ならばAmazonプライムで無料で楽しむ事ができる。
基本的に僕は活字派でありアニメは卒業してしまった。もちろん昔は漫画を購入していたしどっぷりとハマっていた。
あえて『アニメ』と『漫画』という文字を使ってみたが、その違いすら理解していない自分はやはりアニメや漫画に興味が無い部類の人間になってしまったのだろう。
ちなみに『漫画』とは絵と文字のみで作られたものであり、『アニメ』とは漫画を動画にしセリフや音楽などをのせたものだそうだ。
『鬼滅の刃』は本当に話題になっている。数日前にテレビで見たのだが、漫画売上ランキング上位10番を全て占めているらしい。僕が知っている最近の人気アニメといえば『ワンピース』と『進撃の巨人』であり『鬼滅の刃』は初耳であった。周囲にも勧める人がいて、話題作であるとの情報と身近な人から勧められたこととAmazonプライムの三条件が重なりこのたび視聴するはこびとなった。
さて、これほどまでに人気が出ているアニメ作品とは、どれほどのものなのか楽しみであった。
感想としては確かに面白い作品だと思う。何よりこの作品は、人間の優しさや温かさが伝わりやすい内容だと感じた。この作品から子供たちは道徳を学び感じる事ができるのではないか。そういう意味においても素晴らしいと思う。僕に勧めてくれた人はもうオジサンなのだが、そのような人生経験豊富な人でさえ魅了される意味が分かったような気がする。現在発行されている19巻の予約券を手に入れて喜んでいた。人気過ぎて手に入らないそうだ。
久しぶりにアニメを観た。自分の意志で楽しむ事を前提に。そして気が付いた。僕はもう漫画やアニメのようなファンタジーの中に共感を得られるほど心が柔らかくなくなってしまった。厳密に言えば鬼やゾンビや妖怪などの非現実的な物が登場するようなガチガチのフィクション作品に。だからアニメだけじゃなく映画や小説も同じ。
小学校のころあんなに『ドラゴンボール』にドキドキわくわくしていたのにもう、あのときのような心が僕には無くなってしまった。大人をも巻き込んで世の中の話題を集めている大人気作品にさへ僕の心は動かなくなってしまった。
何故だろう。いつからこんなつまらない人間になってしまったのだろう。
理由は何となく分かっている。夢見る力が無くなってしまったのだ。現実にもまれすぎた結果だ。
昔の僕は「何かいい事ないかな」と思って生きていた。「こんなに頑張っているんだから、たまにはいい事あるだろ?」と期待していた。しかし現実は何も僕に与えてはくれなかった。現実はもっと機械的で無機質で、『何もない日』と『トラブルの日』が9割以上を占めているような人生だった。もちろんそれは今でも続いている。
そのような日々を過ごす中で、自分の人生は自分でコントロールしなければどうにもならないのだと考えるようになり、目標や目的を定めて行動しだした。そしてさらに学ぶことになる。どんなに頑張ろうとも努力しようとも無理なものは無理なのだと。人間関係においても同じであり、自分の人生でありながら、己一人でコントロールできる事柄などほんのわずかでしかない事を。
僕たちは大きな大きな流れの中に身を置いている。それは抗いようもない大きな流れであり力である。そして何より自分一人では生きてゆけない。必ず誰かに関わり共存しながら人生を過ごしている。『金』という強固な力で世間と結び付けられ死ぬまでそれは変わらない。
僕の心を覆っていた柔らかく柔軟なファンタジーを楽しめる感覚はもう消えて無くなってしまった。『世間』と『他人』に削り取られてしまったのだ。「そんなバカな」と鼻であざ笑うつまらない人間になってしまった。
普段はこんなことを意識することは無いまま生活している。普通に笑い、普通に冗談をいい、真剣に仕事をし、記憶が無くなるまで酒を飲んだりもする。趣味に勤しみ、なるべく人生を楽しもうと試みる。いつしかまた「何かいい事ないかな」と期待をしている。
しかし『鬼滅の刃』は僕に教えてくれた。アニメで楽しめない自分を思い出させてくれた。ファンタジーに共感できない自分を。そして、明日は変わらずやってくるかもしれないが、その明日は今日と変わらず何もない日なのだと。
『期待』とは待つことだ。自分の望むことを心待ちにして待つこと。待つのではなく進み続けようと思う。『希望』を胸に秘めたまま前に進もうと思う。自分の望む結果に至らなくても、待つよりは進んだ方がいい。起きるのを待つのではなく、起こすことを意識していたい。
『鬼滅の刃』を観て、こんなめんどくさい事を思う自分は変わり者だと思うのです。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。