とある会社での一幕。
「これ、簡単だからやっておいて」と部下の女性にお願いしました。
たったこれだけの言葉なのに、お願いされた女性は、違和感を感じたような表情を一瞬見せた。
さて、何が起きたのか・・・・・・
頼まれた女性の気持ちは、『女だから、私だから馬鹿にされた』と感じたらしいのです。
理由1:男性社員もいるのに自分が呼ばれた
理由2:これぐらいなら、ちゃんとできるだろ?と言われたみたいだった
それに対して上司の気持ちは、
‘‘貴方にとっては簡単で、すぐに出来ちゃう仕事だから、頼むね!‘‘という、意味でした。もっと言うなら、ミスしない人だという信頼性も付随していました。
時として『言葉』は、自分の意図しない方向に飛んでいく習性があるようです。相手の胸にグサッと刺さり、まったくの事故なのに、殺人未遂の犯人扱いされてしまう。
被害者にとっては『刺された』ということは事実なわけですから。
このような意図しない事故は、いろいろな所で起きています。
言葉を投げかけられた時の受け取り方は、自分に対する自己評価の影響を大きく受けています。この彼女は、仕事に対する自分の自己評価が低かったのではないでしょうか。
また、その他の問題として、現在の社会では、まだ大昔の名残である「男性」「女性」という性別による差別感が完全には無くなっておらず、『適正』により選んだ人選が、不満の種をまき散らす結果に成りかねない懸念をはらんでいます。
男女の差別問題と聞いて、女性=劣とあなたが思ったのなら、まさにそのことです。
社内において、信頼関係や意思の疎通という、ある意味分かりやすい事柄であれば、互いの努力により、言葉のズレを修正していくことは可能でしょう。しかし、『個人の自己評価意識』に対するアプローチは、非常にデリケートな事であり、簡単に他人が触れることは出来ません。
言葉を発する方が、自分の立場や相手との関係性、性別、言い回し、抑揚や表情など、受け取られ方をコントロールしようと試みるのは良い事ですが、自分が疲れてしまうのではないでしょうか。どうも現代社会はコミュニケーションを重要視するあまり、対人関係のテクニックを解いた物が多く出回り、逆にそれが人々にプレッシャーを与えているように感じます。
私たちはこれまでの人生で、対人関係に対する失敗と反省を繰り返してきました。こと、自分の言葉というものへの反省は誰しもが経験しているはずです。私たちは、人が傷つく言葉、喜ぶ言葉など、しっかりと分別がついています。もっと自分を信頼し、恐れることなく『自分を表現』してもいいと思うのです。そして『自分が言葉を受け取ったとき』には、額面以上のとらえ方はせず、必要以上の忖度や察する力を抑えて、相手の言葉を素直に受け取ることが、人間関係を円滑にする一つの考え方なのではないでしょうか。
最近の世の中は、人間関係に対する感じ方が、過敏すぎると思うのは、僕だけでは無いはずです。まずは自分から、変えていこうと思います。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。